「営業なんて私にできますか」と言った人が毎日営業していた

電話の向こうで、声がすっと小さくなる瞬間があります。たいていその人が自分を安く見積もった時です。福祉用具メーカーの営業に移りたいというキャリア相談者さんが、まさにその声でこう言いました。「営業なんて、私にできるんでしょうか」。いまは葬儀社で接客と事務をしている方で、元は介護職を5年、1歳の子を育てながら働いています。話を聞いていくと、その人の一日はこうでした。

電話で問い合わせを受けて、来店してもらえるように話して、店で葬儀の中身を決めて、当日まで遺族と連絡を取り合って、終わってからも事後の対応をする。ぜんぶ一人で。

「営業できない」と言う人が、毎日営業していた

途中で私はお聞きしました。「聞いていると、もう営業そのものじゃないですか」。相談者さんは一瞬きょとんとして、それからゆっくり「そうなんですかね」と言いました。問い合わせを受けて、来てもらって、その場で決めてもらって、後まで面倒を見る。名前をつければ立派な営業フローです。ただ、その人のなかでは「葬儀の接客」であって「営業」ではなかった。やっていることは同じなのに、名前がついていないから実績として見えていなかったんです。おもしろいのは、相談者さんはもともと口数の少ない人だったことです。

介護をしていた頃は、人と話すのがそんなに好きじゃなかった。それが葬儀の現場で「意外と話すのが楽しい」に変わっていた。いちばん繊細な場面で人と向き合う力が、自分でも気づかないうちについていた。本人だけが、それを「ふつうのこと」だと思っていました。

もう一人、正反対の場所で固まっていた人

同じ週にまったく逆の相談者さんが来ました。誰もが知る大型テーマパークでマーケティングをしていた方です。実績も肩書きもある。なのに職務経歴書を前にして、手が止まっていました。「何を書いていいか、本当にわからなくて。名前がある会社なので、別に大きなことやってないですし。だからアピールしたいんです」。できる人ほど、あれもこれも証明したくなります。担当したキャンペーン、動かした数字、関わった施策。全部を正しく並べて抜け漏れなく評価してもらおうとする。

でも書けば書くほど、いちばん伝えたいことが文字の海に沈んでいく。この方は「足りない」んじゃなくて「多すぎて」固まっていました。葬儀の相談者さんは自信がなくて足せない。テーマパークの相談者さんは証明したくて盛りすぎる。正反対に見えて、二人とも机の前で同じ顔をしていました。足す方向に力を入れて、動けなくなっていたんです。

足すのをやめると、どちらも動き出した

やったことは二人とも同じです。「足すのをやめること」でした。葬儀の相談者さんには、新しい強みを足さなくていいと伝えました。すでにやっている営業フローを、そのまま段階ごとに書き出すだけ。「電話で来店につなげる」「その場で不安を聞いて決めてもらう」「終わったあとも連絡を切らさない」。並べてみると、一人で営業を回せる人の姿がくっきり出てきました。足したんじゃなくて、もう持っていたものに名前をつけただけです。テーマパークの相談者さんには逆に、削ってもらいました。

全部を証明するのをやめて、キャリアを一枚の表紙にする。「LTVを上げてリピーターを育てた人」。軸を一つに絞った瞬間、あれだけ止まっていた手が動き出しました。足りないと思う人も、多すぎて困る人も出口は同じでした。足すのをやめる。片方はすでにあるものに気づき、もう片方は削って一つにする。方向は逆でも力を抜く先は同じだったんです。

私もこの原稿を、最初は事例を三つも四つも盛って、途中で何が言いたいのか自分でわからなくなりました。結局二人に絞ってようやく書けました。足す病は書き手にもうつるみたいです。できないと思っている仕事は、もう毎日やっているのかもしれない。うまく書けない資料は、盛りすぎているのかもしれない。足すより先に、いちど手を止めてみればいい。

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書き手(佐野創太)のプロフィール

佐野創太(すり合わせ学の編集長/退職学®研究家)

すり合わせ学の編集長/退職学®(resignology)研究家

法人・組織の「ずれ」を力に変え、個人には本とキャリア相談から次の一歩を届けています。


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